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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2015.JAN

1/1 タロティカ

正月に弟の10歳なる子が遊びに来たのでタロティカをプレイしてもらう。



「よくできているけど地味〜!」だそうだ。まあ最新の任天堂の大乱闘などを普通に遊んでいるわけで、地味はしょうがない(笑)が、昨年の東京ゲームショウ(参考→HP)での展示のときの反応とほぼ同じで、とっつきが悪いのだが、わかるとたいてい没頭して遊んでもらえるのは、一時の流行ではない普遍性をもつゲームを追い求めてきた私には嬉しいことだ。
幸い放りだされることなく(笑)地下もだいたい探索し最後の主要な謎で行き詰まるところまで。

このところ気付いたことだが、今のゲームは、ほどほどに苦労するが行き詰まることなく解ける程度の難易度が設定されているので、遊び手がすぐ答えを求める、という傾向があるということだ。彼も明確に答えが書いていない展開に「意味不明だよー!」と文句を言い、説明を求めたがもちろん私は答えない(笑)悩んであるときハッと判る、それもこのゲームの楽しみのうちだからだ。
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私らクリエイティビティな日常からすれば、すぐに答えが出ることなどないし、難易度が適切に設定されていることなどない。そもそも正解かどうかも自分で吟味しないといけないし誰かにそれを正してもらうこともできない。研究は長く追い求めて何十年も経ってわかるようなこともたくさんある。このページでよく私が「わかった」と記述していることのほとんどは、長年疑問をもっていたことがようやく答えに行き着いたことがほとんどだ。しかし、それだからこそ得られる誰も手にしたことのない発見や喜びや面白さがある。未踏の地の先に広がる誰も見たことすらない景色の素晴らしさ。そういったこと自体もゲームを通して伝えたいことだし、そもそもイージーであったりユーザーフレンドリーであったりレベルデザインがなされていることなどは単なる手法の一つであって、必ず適用しなければならないものではないんだということなのだ。まず何を伝えたいのか?そこが肝心である。

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1/13 人はプログラム駆動である

長年脳についての研究をしているが、脳に障害を負った人から得られることは非常に多い。これは、例えばpcが故障した時、一旦全てを取り外して少ない部品で問題を特定するのとすごく近い。以前読んだ自ら障害を負った山田さんの本から得られたことも多かった(参考→HP

このところ、健忘症患者、新たに経験したことを一切記憶できなくなった人、の生涯についての本を読んでいるが、その中の事例から、私がこのところ疑念に思っていた「人もプログラム駆動ではないか」が証明された!ガックリ(笑)残念だが薄々予見はしていたが脳に神秘性などなかった。

---以下抜粋--
ウェズリー・カレッジの共同研究者ハワード・アイケンバウムが記憶している、一九八〇年にヘンリーをビッグフォード・ヘルス・ケア・センターという療養施設まで迎えにいき、MIT臨床研究センターに連れていったときのこんな出来事がある。
アイケンバウムは往路でランチにマクドナルドに寄り、コーヒーカップをもって車に戻った。ビックフォードに着いて中に入り、スタッフと話してから、ヘンリーを外に連れ出して車まで案内した。
ヘンリーが後部座席に落ち着いたのを見届けて、ボストンに出発した。数分後、ヘンリーがダッシュボードに置いてあるコーヒーカップに目をとめた。「ねえ、ぼくは子どものころにジョン・マクドナルドという名の子を知っていましたよ!」さらにヘンリーがその友人との冒険話を披露し、アイケンバウムはいくつか質問して、ヘンリーの子ども時代の詳細な記憶に感心した。やがて話し終えると、ヘンリーはまた車窓を眺めはじめる。数分後、ダッシュボードを見て、彼はこう言った「ねえ、ぼくは子どものころにジョン・マクドナルドという名の子を知っていましたよ!」そしてさっきとほぼ同じ冒険話を繰り返した。
アイケンバウムは会話を続けるために質問し、ヘンリーの話がさっきと同じかどうか確かめようとした。ヘンリーは同じ話をほとんど一言一句間違わずに繰り返していることに気付いていなかった。話は数分で終わり、ヘンリーはまた外の景色を眺めた。ほんの数分後、ヘンリーはまたダッシュボードに目をやって叫んだ「ねえ、ぼくは子どものころにジョン・マクドナルドという名の子を知っていましたよ!」
アイケンバウムはヘンリーがもう一度同じ話をするに任せ、急いでカップを座席の下に隠した。

 (「ぼくは物覚えが悪い」早川書房p123より抜粋)
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これにより、まったく同じ状況下に置かれた場合人は同じ挙動をするということが判る。上記ではヘンリー(健忘症患者)の記憶がすぐ消えるため、数分後に脳は初期状態(事故が起こる前の記憶状態)に戻る、つまりROMであり、また、車内で周囲の環境が同じであったため、話す内容もまったく同じ出力になった、ということである。
前回(参考→HP)にも書いたが、入力条件、つまり直前に同じ話をした記憶があったり車内でラジオがかかっているとか異なった相槌を打つとかなどの環境の違いがあれば話す内容に変化が生じる(もちろんそのラジオによって脳内になんらかの刺激が与えられるという前提)。つまり知性があるように見える挙動とは入力条件の違いや変化による多様性に過ぎないということになる。

また、上記の例は「話」だが、これは「行動」や「思考」にも当てはまる。上記でもし録画があったなら、話す時まったく同じ身振り手振りをしていただろうことは想像に難くない。手塚治虫の漫画ブラックジャックで、記憶喪失のヒゲおやじが記憶を取り戻したとたん、過去にやろうとした行動、埋蔵されているガソリンタンクに衝動的に火をつけた、みたいなストーリーがあったが、これも今なら明確に説明がつく。つまり周囲の環境が同じであれば、まったく同じ行動が出力される、ということである。つまりプログラムによる再生なのだ!

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モノを作る上で、クリエイティビティをどう高めるか?ということは、順列組み合わせとオリジナリティはどう違うのか?という問いに等しい。周囲の条件が異なればいくらでも微細な違いを生むことが出来、他人と違うものを作ることができる。一見個性に見える。だが、それは作ったものを鍛えあげ、質を高め、普遍性(歴史的時間経過に耐えうるよう極限までに時代的風俗成分を削いだ構造)を持つまで試行錯誤する、とは無関係である。大事なのはそれが生き残るか?(人を魅了するか?)なのだ。

人がプログラム駆動であるなら、記憶と現状の周囲の環境から出力される行動なり思考なりからどう自由になれるか?ということこそがクリエイティビティということになる。つまり突然変異への選択だ。しかしそれは「プログラムがない」から、やりたくなかったり面倒だったりする。しかしその先にあるエキサイティングな体験を知っていればそのしんどさは超えていけると私は信じている。辛くても食う、という感じか(笑



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1/29 デスペラードリカバード

鳥を見た@荻窪クラブドクター



前回9月の時に新曲「デスペラード」初演で今回が2回目。
新しい曲をやるときは事前に音源を提示されるのだが基本的に聴くことはない。戦友山崎氏がどういうベースパターンをつけ、それになかおさんのギターがどう絡むかが目の前に並べられて初めて、ドラムのパターンが決められるからだ。事前に組んでしまうとそれが自分の中で価値高めになり、実際にあわせるときに余計な自己主張になり誤差を生む。つまり当日リハのときに初めてやるべきことがわかりどうするか体に任せ発見できる。
全員の横方向の演奏ラインを踏まず、かつベースと組むリズム隊としてのグルーブを確保し かつ全体の流れの中のエネルギーの起伏みたいなものを把握して上限下限を把握した上で音量や緊張感をどれくらい出すかのレベルも決まる。リハ後録音を確認して主観との誤差もなくす。

ところが9月の初演のときは、本番でとんでもないところにパーンとシンバルヒットしたりしてて「最悪〜」と思っていたわけだが、録音を確認したら周囲のメンバーも把握していなくて頭がバラバラで私も騙されてたということがわかり、今回リベンジというわけであった。
リハ前に外でなかおさんに、キメ後の歌いだしはリズムに乗っているのか?とか疑問点を確認したり、
実は最近、かつて青い部屋での演奏DVDが出てきて見たら、結構自由な即興部分が多く、最近はちょっと知らず知らずに守りに入っているのではないか、と思っていたのと、リハ後になかおさんにドラムについて確認したら「もっと音数が多いほうがいい」と言われたのもあり、今回本番では、以前UFO演奏(参考→HP)でやった周囲の音を聴きながら違うリズムを叩き込む、みたいなアプローチ+音数を増やす、つまりちょっと攻め気味で叩くことを心がけたら、終了後結構お客さんによかったと話しかけられて間違ってなかったことが確認できた。何よりも演奏が終了したのに客席がしばらくシーンとして拍手さえ起こらなかったのは興味深い反応だった。

特に今回は、なかおさんの叫びなどにさらに薪をくべたり、全体が轟音に走りはじめたりベースがソロ気味になったら反対方向を守ったり(淡々とその曲の基本リズムを守る)とか、頭で考える恣意性を捨て、これはどうかなと頭で思っても体が求めたら叩いてしまう、みたいな判断も出来た。

前回9月ライブ後まったくドラム練をしてなかった(エアー練はあり)のだが、草ボウボウになっていないか1週間位前にスタジオで叩くのだが、それは鈍ってた筋肉を殺しその再生に1週間位は必要だからである。またこのときの個人練で、パターンを叩いているうちに無我夢中に繰り返すみたいな感じが取り戻せ、それが本番で例えばラストのlittle red roosterの冒頭で、パターンを叩かなければいけないと思いつつ始めたもののそのヌルイパターンは違うと捨てたりでき、そして知らぬ間に無我夢中なパターンになっていたりで結果に結びついた。

何よりも、今回ハコの騒音対策でベースが左側にあったり、ドラムの金物類の音やsaxの音が轟音の中通って聞こえるほどPA調整のよさもあって、アコースティック気味な音場もよかったと言える。

つまり、先日の人間のプログラム駆動(参考→HP)という性質を考えるならば、条件を変える、例えばいつもやっているmissionsでベースを反対側にするなどの方法によって新しい環境にバンド全員を放り込むとマンネリから抜けうまくいくのではないか、ということに気付いたので次回提案してみることにする(笑



このページでは私の成果、発見のみ記述しております。