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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2010.JAN

1/1 トランプの教育効果

わが家に受け継がれる、不思議な風習、家族トランプ
通常は7ブリッジだが、今日はお子様が居るので7並べ。

5歳になる子に教育効果があることに気付く!



数字を順番に並べる。

模様の識別する。色だけでなく形も。

ルールを守る。それもバーチャルの。


そのうちかけひき。

年齢親子関係なく、対等な立場になるのも良い点だなあと。


夜、
暖めてきた年賀イラストのペン入れ。最初のイマイチの構図を捨てたらうまくいった。




1/2 年賀版下作成

正月なのに仕事場に出た。
年賀イラストと、文字ロゴおよびレイアウト作成


1/3 年賀彩色作業

年賀イラスト彩色作業。

11:56
彩色開始。まずはボディーの黄色。

ポイントは、黄色と白の境目の、
毛の、ふわふわな質感が出るように塗ること。


 途中疲れたので、ひさしぶり(年単位?)にピアノを弾き、曲ができる。
 最近わかったことは、表に出ていない部分で流れているリズムやトーンがあるので、その場で完パケしないと後日それらが頭から消え、続きはできないのだ。よって、作ってしまう。

15:41
再開後、120枚終了。

16:22
赤茶を塗っている最中。

16:52
赤茶オワリ

21:05
かなり疲れて休んだあと再開。黒シマ。

22:08
黒オワリ




1/4 年賀彩色作業

13:59
海の青に入る。地球の色についてはそうとう悩んだが、
記号的な色彩(海青、陸地緑)は必須。

とりあえず青は塗ることに。

島の周りを塗らずに白く空けると、シーサイドぽくなっていたのだが、
気付かず後半は塗ってしまい惜しいことをした。


16:01
青オワリ

16:26
結局、陸地を緑で。


18:10
オワリ

18:54
虎の影が地球に落ちている色を黒で。
これがなかなかいい感じ!


19:44
オワリ



年賀イラスト彩色は、結局 120枚 x 6色、膨大すぎ。2色で納めようと思ったんだがなあ。。


1/6 鳥をみた演奏

[ 画像 ]

なかおちさとguitar作詞作曲演奏に、ドラムベースサックス、が好き勝手に伴奏するバンド。
対バンは、アンダーグラウンドの、DISK UNIONとかでも並んでた、私でも名前を知っている「割礼」
お客も多く、かなり好調。

---
もはや、ドラムは必要最小限にしか叩いていない。オカズもほとんどない。

技術とは、
今鳴っている演奏に対し適切な音を乗せて、
よりわかりやすく、より快感が出てスリルが出るようにするための、手段でしかない。
それらを実現するための技術は、
今自分が演奏できるものを選んで、そのように手を動かすことを許可するだけでいいのだ。

なので、ドラム技術は下手ぴいなのだが、
演奏、という面、意のままにコントロールする、という意味では、たぶん境地に達していると思う。

---
同じことはゲームのアイディアにも言えて、

かつて、ゼビウスが970万くらいまで行って、お店の人に電源を落とされ(※1)、あと少しで起こるはずの無限増殖現象(敵を1匹倒すたびに自機が増える)を見れず、悔しい思いをしたが、

そのように、
ある境地に達すると、その無限増殖が起こる。

今、アイディアも、
何か見たり、何かしたりするだけで、浮かんだり、ひらめいたり、動いている映像がふっと見えるし、
何かの現象や問題を見かけても、その根幹となる構造がわかるし、
わからないならわからないことがわかるのだ。
私本人も、
なんだろうこの状態は?と、思ってはいる。


1/10 誰のもの

日本の会社法、が言っていることは総じて、
会社は株主のものである、
ということに尽きる。

社員も、役員も、株主の代行者に過ぎない。

---
人が人たる所以には、
後天的な学習が半分以上を占める、と私は今思っている。

つまり、文化的なbehavour、ふるまい、宗教的なもの、等々
親や社会から受け継いだものこそが、人間を人間たらしめている、と言える。

私たちは一生をかけて人間たるふるまいを受け継ぎ、
その過程において、自分が発見したささやかな生き抜く知恵を上乗せし、子供や社会に渡して、使命を終える。

私たちも、人間という種の代行者といえるのだ。

---
会社に社員として入っても一生居ると思う人はいないだろう
働いて、それなりに貢献して、まっとうして辞めて行く。

このふるまいそのものは、人間が生をまっとうし使命を終える過程とまったく同じだ。

社長とて例外ではない。
会社の精神にそぐわなくなれば、世代交代し、若い社長が後を継ぐ。

---
会社が、新しい社員や役員を迎えたり、送り出したりするそれらの活動は、
生物が
食べたい食べ物を食べる行為に似ている

食べ物は分解され体の隅々まで行き渡り、常に入れ替わるが、
身体の形、思考は変わることなく、継続する。

川と同じだ。流れる水は常に違うが、川の形は保たれる

その形は、間接的だが、株主の理念なのだ。


---
ガンダムはトミノ氏がもはや関わっておらず、スタッフも内容も当初とまったく異なっても
未だに続いている。仮面ライダー然り、ウルトラマン然り。

それらは、
最初の衝撃、その遺伝子の生き残る強さそのものといえるし、

構成するものが変わっても、行きつづける様は、まさに生物だし、
そういう意味では、
会社、そして文化は、生物の構造を持つ、と言えるだろう。


---
80年代から始まったコンピュータゲームの面白さ、良さの遺伝子ももはや絶滅寸前、
残念だが人はゲームに、もはや何も期待していない。面白いものはすでにもう沢山ある。

しかし
正しく受け継ぎ後世に伝えるのが、
当時から生きてきた
私らの世代の役目の一つ、だと思う。
それは遺伝子を体験しその記憶をもつ私らの世代しかできないことだし、

そして、私らが体験してきたゲーム、というものはもっと面白いはずなのだ



1/10 虎練

[ 画像 ]

じじい(虎)練、横浜にて。もはや旅。
夏あたりに独自イベントをやることを決定、制作に入ることに。

痛感するのは、毎週の練習の積み重ねは大事だ、ということ

何気ない日常を死守する大事さ、ということだ。

---
生きる糧を稼ぐためにやらなくてはならないことは、最優先される。

すると、ささやかな日常は追いやられる運命にある。

つまり
やらなくてはならないことは決まっている分、ささやかな日常はパディングとして伸び縮みし、
仕事を実は支えている。

だからこそ、
ささやかな日常が機能しなくなるということは、本土決戦、最終ライン、ということになる。

よって、たかがバンド練、といわれがちだが、
特にこの時代においては、
その、たかが、を本気で守る意識がないと、通常の生活まで危なくなる、という危機感を私は持ちながら、
日々やることを計画し行動している。

1/11 オンライブゲーム

今月のクーリエジャポン(vol.064)は、次のIT特集だったのだが、
その中で、オンライブゲーム、ついての記事があった

それは、私が 昨年書いた、サーバ主導の機種依存しないゲームプレイ、 そのもので、くやしいので一応ここに書いておくことにする(笑


---
私の構想では、サーバ側にゲーム本体を置く。

ユーザーは、端末のコントローラから操作情報だけを送り、
サーバは、ゲーム画面をストリームで配信する、
というもの。

私は「ストリームプレイ」と呼んでいる

---
ゲーム業界最大の問題である、
数年でプラットフォームが更新されていくことのよる、ハードノウハウのリセットと、
マシンパワーがアップすることによる開発費の増大
は、
現状の、大手でさえ吸収合併を余儀なくされている現状を生んでいるが、
これはもともとゲーム業界が持つ構造。

しかし、サーバ上にゲーム本体を置いた場合、処理して返せばいいだけになるから、機種依存がなくなるし、
コントローラ情報を得て画像を配信するのは、既存の技術の組み合わせだから構造は単純で、
配信する側では、どんな古い機種でもどんな機種でも、サーバ配信部分のシステムに吸収できるし、
何より、
サーバ主導による、課金モデル、ができ、もはやネット上でいたちごっこの、海賊版問題を回避できる点にある

ハードメーカは、コントロールパッド+課金回収装置(felica等)付きの送受信端末を売り、サーバを運営する形
が、私の想定で、
ここがパールマン氏と異なる点。日本だとね、こうなるでしょう、たぶん。日本の消費者はもはや、全部用意されないと自分からは頑張らない。

---
ただ、言うまでもないが、
現状youTubeでさえキャッシュをする必要があるほど、ネットワーク速度の問題がある。
ニコニコ動画でさえ会員にしないと赤字増大だったくらいだ。

また技術的にも、
この記事にあるように、スティーブパールマン氏が7年かかって 80msを実現した、というくらい、
技術的障壁がある。

昨年のshootingで、やはり 60フレは譲れなかったが、
その、60フレとは、1秒間に60フレーム、つまり、1/60 = 0.016666 sec = 16msだ。

パールマン氏のオンライブ技術でも、80ms、つまり、60フレの5倍遅いのだ。

ちょっと不安になったので、計算してみることにする。

---
以前、カプコンの方が、ネットワーク通信について言及されたとき
「光は1秒間に地球を7周半しかしない、遅い」と言われていた。

1メートル、とは、地球の円周の、4万分の一である。
つまり
1秒間に、1メートル x 4万 x 7.5 = 30万メートル、 光の速度で、1秒間に、30万メートル進むことになる。

60フレを実現できる距離は、30万/60 = 5000メートル、
送受信なので、往復の距離が要るから、半分で2500メートル。
よって、レンダリングなどの処理時間を考えなくても、2500メートル範囲内のみ、60フレが実現できる計算になる。

2500メートルとは、2.5km。つまり、サーバを設置している場所から通信距離2.5kmを超える場所は、60フレのshootingは楽しめない計算になる。ううむ(笑

つまり、自然物理の限界は絶対超えられないので、
リアルタイムサーバサイドレンダリングの、オンライブゲームは、かなりキビしいことが分かる。

ただ、今の携帯のネットワークをモデルに考えてみれば、
fomaだって、基地局をあちこちに作って通話可能地域を増やしているんだから、
ストリームゲームだって、基地局をたくさん作れば2.5km範囲内でのshootingプレイは不可能ではない。

もちろん、
現状ではまったく採算取れないが、
考えてみれば、

 携帯がない固定電話のみの時代に、
「電話が持ち運べて、でも電話代が月2万弱だけど使う?」と質問したとすれば、
「使わねー」といわれただろう。「電話は用件だけ話せばいいんだ」とか言われて(笑

時代の流れで何が可能になるかはわからない。光を超える物質が見つかるかもしれない。

---
昨年のクリスマスに、Q-gamesのSHOOTERが配信開始となり、早速落としてみた
いろいろ素晴らしいアイディアや要素はいうまでもないが、
同時に感じたことは、パッケージソフトでは当然チューニングされているだろうヌルい部分が ダウンロードゲーム特有なのだが、あちこちに残っていたことだ。

実際、パッケージソフトを作る場合は、様々な守るべき項目がある(セーブ時の操作やメッセージ、ボタンの名称等々)が、 こういった配信ゲームについては、それらの項目が若干ゆるのではないか、と私は思った。パブリッシャーから「これでは売れない」という要求がないのも大きいだろう。

私が思うに、
パッケージゲームの良さとは、パッケージで売るという販売形態そのものではなく、
パッケージソフトを売るにあたって、企画審査からパブリッシャーのフィルターなどを通し、より一般化させられる点にあるのではないか、ということだ。

つまり、パッケージソフトを企画し製作し販売にこぎつけるまでの一連の流れこそが、パッケージソフトの遺伝子ではないか、ということである。


私がオンライブゲームに言及するのは、そういった過程こそがパッケージソフトが長年培ってきた文化だとした場合、それらを、どう生き抜かせることができるか、何か方法がないか、ということなのだ。

もちろんここ数年の販売不振により、パブリッシャー自体がかなりの守りに入っていて機能不全な感じもするし、何十年もあった店がボコボコなくなる風景に、これからの10年は明らかにこれまでのやり方ではダメな気もする。

一方で、
ダウンロードや配信だと、パブリッシャーの関与が弱い分、一般化が弱まり、より同人化する恐れがあるし、もうその匂いがしている。
勝手に作って勝手に配信するのでいいなら、iPhoneなどの形態でいいだろう。しかし、iPhoneはハードを売るビジネスであってソフトのビジネスではないから、ソフトでのビジネスのモデルにはならないし、実際開発費が100万そこらだから、ゲームのクオリティはパッケージに比べ高くはできない。個人開発者には恵まれた時代だが、開発会社には採算の問題がデカい。


---
技術的障壁はとりあえずおいて話しをすると、
オンライブゲームとは、パッケージを買うのではなく、サービスを買うことになる。
つまり、家庭にゲームセンター端末があることになる。

ユーザーは、端末から、セガのサーバ、ナムコのサーバ、といった中から、遊びたいゲームを選び、差したfelicaから50円引かれ、その場でストリームで遊ぶ。それは、かつてのゲームセンターで遊ぶ感覚と同じである。

インカムで遊ぶ場合は、1回1回が満足で、もっと遊びたいと思わせる内容である必要がある。
つまり、パッケージより、より厳しい一般化が求められるだろうが、それは今パッケージソフト制作にある、アーケードから受け継いだ遺伝子そのものであるように思うのだ。

---
ちなみに、基地局が点在するから、家でなくてもいい。
携帯端末で受け取れるから、外でもストリームプレイできる。

このシステムの長所は「入力情報を得て動画を返す構造なので、別にゲームでなくていい」という点なのだ
端末の速度も問われない



1/15 気づいたら到達している

鳥をみた、のライブ。渋谷青い部屋にて

毎回同じ曲がまったく異なる演奏になってしまうので、もどかしいのだが、

「こういう風に叩けばカッコいい」というパターン
がすでにわかっていて、
それをそのように叩いても、決してカッコよくはならない。

カッコいい演奏が生まれた瞬間は、フレーズの組み合わせ以外に、

 お互いがそのとき想定していたイメージが一致したとか、それぞれの体調とか気分とか、
 PAやモニタの返りのバランスとか箱の鳴りとか、

さまざまな要因の結果、その瞬間に、たまたま、上手くいっただけで、

それらは再現が難しい。

もちろん、たかがフレーズだけを再現することは難しくないが、それは、形として、ただ、あるだけで、

 何の感動もない、面白みもないもの

が、目的なく磨かれ、ただ置かれることになる。


---
アイディアやモノ作りもそうだが、
過去の成功を再現しようと、なぞって作り始めても結局うまくいかない。

そういうとき、私は、
いつでも動けるような体や頭の状態を用意し、待つことにしている。
チャンスがくればいつでも飛びつける、準備万端をせっせとしながら動的に待つ。


つまり、

 気づいたら、そこに到達している、

そういう状態が一番望ましいのだ。



1/18 次世代ゲーム機は脳波コントロール!

1月18日のNHK「クローズアップ現代」は、「脳波が暮らしを変える」だった

vol.2841 (C)NHK 2010

アメリカで大ヒットしているというおもちゃ、mind flex。

意識を集中すると、ボールが浮き沈みする、というもの。
以前、YouTubeなどでも動画が見られた

このおもちゃに技術を提供している、米サンノゼの会社の社長、
スタンリー・ヤングさんは
おもちゃ以外にも、用途を展開しようとしているとのこと。

他には、
アーチェリーの際の、選手のリラックスと集中度を測定する機器、
脊髄損傷で腕が動かない患者の、脳からの指令と、手からのフィードバックをつなげるリハビリ方法、
テレビCMを見た人の、興味度を測定し、実際の関心が高い場所を調べる
など。

コメンテータには、ATRの川人さんが出演!ディレクターの取材の正確さが垣間見えた。
非接触(脳に器具を刺したりしない方法)のBMIでは彼が第一人者である。

---
これを改めて見て思ったのは、
次世代ゲームは、3Dではなく、脳波コントロールならしっくりくる、ということだ。

任天堂ならもう開発に着手しているかもしれない。
私はハードメーカーではないのでここに書いてしまうが、
私ならもうスタートする。

---
いつの時代も、
ゲームとは新しい体験として、サービスを提供してきたように思う。

体験が新しくなければつまらないし、思えば、
このところゲームがつまらないのは、体験が新しくないから、だといえるのかもしれない。

---
ゲームが3Dにいくか、といえば、多分行かないだろうと私は見ている。

3D体験は、実際、普段私らがしていることだ。
そして、
では、リアルな仮想社会の体験は、と言えば、今PS3などの展開を見ていても判る通り、
戦場FPSとか、よりリアルな現実に向かっている。
よくわからない仮想世界は、今、あまり期待をもてないのだ。

そういう意味では、ファンタジーがこれほど力を失った時代はないかもしれない。

---
もし、ゲーム機で3Dとするなら、3Dメガネではなく、
目の前に、リアルに3Dオブジェクトが作られ触れ、それが動くくらいの、立体テレビでないと、
ゲームには使えない、と思っていたのだが、

脳波、となれば、別だ。

脳波でコントロール、というのは新しい体験だ。人々にとってそもそも脳は、未知の領域でもある
コードネーム「エスパー」とでもして、新しいゲーム機として開発するのは間違ってない。

---
ただ、
脳波でのコントロール、というのは、非常に難しい。

さきほどの、玉を浮かせるおもちゃは、
おそらく
脳の中のある出力を、3段階か4段階に区切って測定し、玉をその位置まで浮かせているだけに過ぎない。

また、その出力についても、
人がなにかしら集中させた、測定しやすい値について、得やすい値を、
「集中力」
と見なしているだけだろう。

おもちゃとしては「集中を維持すれば玉が浮かぶ」としてあり、
つまり、その集中とは、
そのおもちゃが受け付ける特定の脳波を、玉が浮かぶまで、ユーザー側が必死に模索する形となる。違えば動かない。
玉が動けばそれをユーザーが維持することでさらに浮かぶ、というゲームデザインは、
おもちゃ側が「ユーザーの集中するという脳波」を正確に検出せず、特定の脳波の検出だけを待ち、維持をチェックすればいい、という逆転の発想である。

---
脳の内部のニューロン間における信号の動き、というのは、人それぞれ違う。

だいたいは同じだ。
だが、正確には違う。

そもそも、人が言っていることと、その人が本当に思っていることの照合は、物理的には絶対できない。
番組内で、
広告を見せて人がどこに興味を持ったか、という数値を取っているが、
興味、という定義をどうするのか、が問題になる。その脳波は本当に興味の脳波なのか。
驚いているだけかもしれない。変化に反応しただけかもしれない。

そもそも興味を持ったかどうかを、本人が知覚できていない状態で、どう証明できるのか、
ということである。

例えば、人を信用する、ということについて、その過程を見てみると判るが、
まず、
その人の発言がある。そしてその人の行動があり、その累積で、その人の言葉と、行動を結び付け、
照合することになる。
だが、本人は、本心はやりたくないかもしれず、でも人の前では、ついやると言ってしまい、様々な利害から行動を貫徹させているかもしれない。やりたくてやって行動した人との差異はない。それらの違いを外から判別できたとしても、それは所詮外からの判別にすぎず、内部との正確な照合はできない。

---
しかし、ゲーム機器ならば、正確な照合はまったく必要がない。
ある脳波を何かの入力とみなし、動かせばいいだけだからだ。さきほどの玉を浮かすおもちゃと一緒である。

よって、どの脳波データを、
どのコントロール(判りやすい例として、上下左右の移動、ボタンを押した、等)に、
どう割り当てるか?

ということが課題となる。

「前に進む」とイメージしたときの脳波が、万人同じわけはない。そもそもどう浮かべるのか。
動かなければ不良品である。

なので、
まず、脳波を使って、コントロールをするために、
どの脳波データを使って、どう切り出して(区切って)、それをコントロールの何にどう割り当てるのか?
確定していく。

またコントロール方法も、
念ずるだけなのか、何かを凝視させるのか、音を聞かせるのか、色で判別するのか(上下左右に異なる色を置き、みたときの色に対する反応で識別とか)、最初にADJUSTする(何か見せて脳波とマッチさせる)のか。。

それらを、試行錯誤で研究していくことになる。これらは数年はかかるだろう。
まずメーカーが確実にコントロールできる雛型を確立し先鞭を切る。

とはいえ、広告リサーチなどと違って「ゲームなので動けばいい」という点が多少ハードルが下がる。
これは人工無脳と同じで、
ゲームでは、本当に考えているように見えればいい、からだ。
本当に前に進むと考えている脳波を正確に検出する必要はない。結果的に「思ったとおり」動けばいいのだ。

また、採取できる脳波データの種類も多ければ多いほどいい。脳波による操作の可能性が増える。
実際、測定機器も数万円で手に入るようなので、センサーの数は価格とのトレードオフになるだろうが、

使う脳波の組み合わせ、切り出し方、またそれをどうコントロールさせるか、等々をサードパーティがいじれるようにすれば、そういった過程で、多様な操作や動き、ゲームシステムなどのアイディアを産むだろう。

動かすことだけで面白い、ゲームの原点に戻れる。面白い時代の幕開けだ!





1/23 ファンタジーとは何か

前回のエントリで、

 ファンタジーが力を失っているのではないか

と書いた。これは直感による確信でしかなかったのだが、
ようやく言語化できたのでここに書く。

どうしたらファンタジーが力を持てるのか。。

---
この命題において、私が思い出すのは、

 「子供(我々)にはファンタジーが必要だ」

と説いた宮崎駿氏のことだった。

 例えば、太陽が2つある世界ならば、
 ああ、太陽が2つあるなあ、と思えるように描く、
 それが大事だ

という談話が本に載っていて、
これは
ゲームで世界を作る私らにとって、大きな追い風に思えた。


だが、同時に今、思い出すのは、
もののけ姫が公開されたとき、私がカンカンに怒って劇場を出たことだった。

もののけ姫は、その前作「紅の豚」と対照的に、
 敵も味方も、どちらにも正義がある、
という「現実」が描かれていた。

だが、
今わかったことだが、
そんな、判りきったことを見に、ジブリを見に言ったのではなく、
絵空事を、あたかもあるように信じられる「ファンタジー」を見に、劇場に足を運んだのだった。
もちろんファンタジーにとどまれなくなった現実があったから仕方ないのだが。
---
ファンタジーとは、単なる「絵空事」ではない。

多くの人生を経験して得たリアリティと洞察の先にある未来(希望,願望)

現実の物理に捕らわれずに描く・・・

それがファンタジーなのだと私は思う。

だから、
RPGにおいても、剣と魔法、というのは本来なにかの具現化だし、
また、
ゲームの舞台、というものも、ゲームそのものも、未来の具現化であり必然があるはずで、
語る上での単なる装置(ツール)ではないのだ。

これは音楽でもいえることだが、技術だけな音楽が人の心を打たないように、
装置やルールだけのゲームも同じように人の心を打たないと私は思う。

ルールにしても単なる三つ巴ではなく、
時代に即したリアリティがある規則であるはずで、
それは
作者が今まで生きてきてリアリティを感じられるルール、なはずだ。
ゲームという抽象表現であるならば、ルールが何かを表していて初めて、表現足りうると思う。

---
私は図書館をよく使うが、本当に小説を読まなくなった。
気になる新刊をパラパラと読んでみたりもするが、
結局、それらが、
今、私らが直面している様々な問題や生きる上の何かと何の関係も関連もない、
単なる絵空事でしかないことがすぐわかってしまうと、もう読む気が失せてしまう。

これはゲームとて例外ではない。
人生と何の関係もない単なる暇つぶしのゲームなら時間の無駄というだけだ。
過去のよき思い出をトレースするためにいじるだけの装置、でしかない。
それは懐メロと同じだ。前に進めないではないか。

宮崎氏が、ファンタジーを描けないのだとしたら、
それは単に、
経験と洞察を総動員しても未来が見えないから、
ということなのではないだろうか。

---

ゲーム黎明期、
私らはゲームや漫画などの「ファンタジー」から、たくさんを学んだ。
それらは、人生について多くを含んでいた。

町でみかける小さな子供達はゲーム機を持って離さない。
子供も人も、町を歩く人たちは周りを見ず画面を見て歩く。

今、ゲームを生業とする私らは、
ゲームというメディアを通して、未来を語る責任があると思う。
少なくても私は、そう心がけるようになった。

未来を語るには、自分を知ることであり、世界を知ることであり、
そして未来を見据えることなのだと思う。



1/30 良いアイディアの定義

今進めているプロジェクトの一つで、

 良いアイディアとは何か?

を、
定義をする必要が出てきてしまっていて、ここしばらくずっと考えていて
こちらも最近ようやく言語化できた。

---
何も考えずに「いいじゃん!そのアイディア!」と言うことは誰でもできる。

しかし、その理由を誰にでもわかるように説明するのは難しい。

以前、岡田斗司夫氏が日記(※2)に、

 「これ、何となくいいと思うんですよ」「こういうのもあってもいいんじゃないかな」
 「言葉にならない部分がいい」(※3)
 と言いだす審査員までいる。
 印象や感想から始まって、社会的な部分まで組み立てるのが評論家の仕事だ。
 そのプロが集まって「言葉にならない部分が良い」などとはなんたる知的怠慢か。

と書いていたように、

 良いアイディアとは何か、

きちんと定義し評価し説明できなければならない、と思ったのだ。

---
帰って、
私がゲームを作りはじめるキッカケとなるアイディアはどういうものだったか?

まず、根幹となるアイディアがある。面白そうなアイディアだ。

そういうアイディアは、
 「それならこういう要素をつけたら?」
 「こうしたらもっと面白くなる!」
というように
どんどん連鎖して膨らんでいく。

作っていくと、さらに「だったらこれも足して」とかどんどん生まれてくる。

これは他人のアイディアでも同じで、
こういうのどう?という雑談に
「それならこうしたらもっと!」と盛り上がり
試作なんか始めちゃったなら良いアイディアと思っていい。
その結果ゲームが完成すれば素晴らしいアイディアだった、と定義できるだろう。

---
つまり、良いアイディアとは、

 それを聞いて、どれだけ自分や他人が刺激され、連鎖して新しいアイディアを生み、人を動かすか?
 そんなキッカケとなる大元の表現(※4)

と定義できる。

弱いアイディアは、他人を刺激することができないし、
連鎖が不完全に終わり、完成せず途中で止まってしまう。

もちろん、アイディア自体はよくても、それを相手に伝える技術が弱くて伝わらない現実
はあるだろうが、逆に、
良いアイディアなら、自分さえも刺激し伝わるまで行動させるはずとも言える。

以前も書いたが、爆発連鎖が続き、それらが収束したときに作品が完成していれば、ベストなのだ。
良いアイディアとは、生き残る強い遺伝子をもつアイディア、とも定義できるかもしれない。



このページでは私の成果、発見のみ記述しております。




















































































































































































































































































※1
閉店後1時間も待ってもらったのでしょうがないのです











































































































































































































































































































































































































































































































































※2
新オタク日記2003年3月10日( HP

※3
もちろん言葉にできないことも大事。そのために芸術等の表現方法があるのだ。ここでは、評論のプロが説明を放棄したことが問題視されている






















※4
ここでの表現とは、人に伝える手段=文章、言葉、映像、音、光、等々