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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2012.JAN

1/1

謹賀新年
2モンスターの対応。ルーカ曰く「two Godzilla」(笑)




1/4 ダブルストロークロール

2日後にライブなのでスタジオに入る。もちろん、何か曲練習するわけでなく、何気なく叩いてみて叩けない場合それを鍛え直す、というやり方。つまり自由欲求の行使に対する制限の解消。基本的に一夜漬けや丸暗記は役に立たないのでしない。

年末お伺いした飲み会で、
「東郷さんに是非叩いてもらいたい」と見せていただいた映像が、パパジョーンズのドラムソロ。
ニカーと笑いながら、ブワーとすごいドラムを叩く。

それを見て、そうか、プレスロールだけでなくダブルストロークのロールができないとイカンなー、と
今さらながら思い立ち、以降あれこれ模索していた。どんなに必要でも、すべてはやる気になるまで手をつけない。欲求に基づかない練習は害というわけで。

通常はレギュラーグリップという、親指でスティックを挿む握り方だが、


この持ち方だと、上下よりも前後に揺れやすく安定しないし強打に向かない。
ただマッチドグリップ(上から握る)だと親指が当たって上下に振りにくい。そこで、
物理的構造を吟味し、マッチドをすこしズラしレギュラーの挟み方ぽくし、かつスティック根元の大きい振りを妨げないよう握りを広げたグリップにしてみた



あっさり、あのドルゥアーというブワア音なロールが出来て、ビックリ。

そして面白いのは、
一旦入る(音が出せる)と、違うグリップでもなんとなく似た音が出せること。
乗れなかった自転車にスゥーと乗れたら、あとはずっと乗れる、そういうのに似ている。




1/6 鳥を見たlive missons

鳥を見たライブ@高円寺missions

年賀で1色9時間かかったら(→HP)、他の色の1時間とか屁でもない、
と感じるのに似て、

昨年の灰野さんとの1時間40分もの死闘演奏(→HP)を経ると、
いつものように鳥で演奏していても、まだまだやれるはずだが体力が足りない、ということに気付かされもどかしい自分が居る。

昨年までは、自分の体力に見合った形で曲や演奏を従わせていて、その方がよい演奏になると思っていたし実際そうだったのだが、
今の心境ではもはや、
体力が制限に感じるほどで、これは灰野さんからのギフトでありしばらくありがたく体力作りに勤しまさせていただく処遇である。

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夜は珍しく揃った家族ディナーなので、汗だく血だらけのままTシャツで速攻飛び出し帰路についた。




1/14 ロールバリエーション

夜中スタジオ、ロール練。

どんな練習でも大事にしているのが、基礎となる部分の磨きこみ。
今回のロール練は、粒が揃うようにするほかに、

速度、と、音量、という2つのコントロール
を変化させて訓練する必要をみている。

つまり、

というマトリクス上、どのように動くか、ということである。

とりあえず今日やってみたのは、 速度固定したまま音量を変動させる練のテスト。
速いのとちょっと遅いの。
上の図では、下から上いってまた下、を、列を変えて2パターン。

こんな感じ。まだ出来てないですがイメージは伝わるかな?
roll_practice_120114.mp3(471KB)
今後、こういった、出来てない速度、出来てない音量の場所を一つ一つ地道にクリアしていくわけです。

それらすべて、それぞれのタテ方向、横方向、を個別に鍛錬し終われば、
マトリクス内を無尽に動き回れるようになり、それではじめてロールという武器を手に取ったということになるわけですねー

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補足をすると、
速度の変動とは密度の変化で、FM変調と同じ、
音量は、AM変調と同じです。

もちろん、技術はすべて習得するよりも、
本人の嗜好性に特化して伸びるところを徹底的に伸ばす方がよいわけですが、
私が期待するのは

上記のマトリクス上を自由に移動した場合、
どういう新たな演奏が可能になり
どんな新しい音楽が生まれるのか?

いうことに興味があります。
よって、努力という投資、をするわけです。




1/15 ロールのための技術その1

昔やった、鉛筆を指で持って「ほーらぐにゃぐにゃだよ」とブラブラさせるようにスティックをブラブラさせる状態を保ちつつロールのコントロールをする。

ぶらぶらの物理運動を保持しながら、自分の意図する方向(連打速度、強さ)に寄せていく。最初から意図どおりに動かそうとするとうまくいかない。これは人生そのもののような気がする。



1/21 2001年宇宙の旅

2001年宇宙の旅をblue-rayで見る



最近読んだ本の中で、キューブリック氏はこの映画について以下のように語っている

 「感情や現実には言葉にならないものがある。非言語的な音楽や絵画はそのような領域を表現することができるが、言葉には恐ろしいほどの束縛性がある」
 「2001年については語りたくない。なぜならあれは言語とは関係ないものだからだ。理性よりも潜在意識に訴える。見ることに注意を払っていない人たちには根本的な問題がある。彼らは耳を使っているのだ。この映画は聞いていては何も得るものはない。自分の目を信じないものはこの映画を理解することはできない」

と語っている(「映画監督スタンリーキューブリック」晶文社2004 p237)

これを読んで、だから日本のゲームや音楽が海外で評価されにくいのだ、とわかった。歌詞やテキストが強すぎ、非言語の特性をまるで活かしていない。。
なので今こそ
ずっとsuspendしていたこの映画を見ることが必要に思えたのだった。ただし映画として楽しむのではなく「見る」ことにしたのである。退屈になっても決して目を離さずすべてを見る。。退屈とは言語的に理解しようという姿勢から生まれるのだから。

そして一度見たあと、blue-rayでリリースされていることを知り、blue-rayで再度見ている。
つまり、彼が視覚についてこだわったならば、情報量が高い方がよいことになる。つまり、私にとって初めて、blue-rayで視聴する意味が生まれたことは嬉しかった。もちろん、本来ならば彼が想定していたスクリーン映写で見るべきなのだが。。

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実はこの2001年については、大学時代からのsuspendでもある。

当時講義で建築家の椎名英三さんが、繰り返し映画で出てくる「モノリス」の美しさを語られていた。
大地に刺さる立体の美しさ。それを例に、デザインのあり方を講義されていたのだが、
今回
10年以上経ってようやく、その講義を受け取ることができたと言える。




1/24 パンディエロ

パンディエロを購入し合間に練習している。陶芸家六反氏製 no.700



サンバドラムについては、以前コモさんライブ(→HP)のときにその快感は掴めたのだが、そのブラジリアンドラマーのようなドラムに一向に落とせず数年が過ぎていた。

そして先日、某サンババンドのライブを見に行った時、

タンバリンのようなパンディエロ

スルドと呼ばれる立って叩く大太鼓、
の二つ
がリズム快感の中核を成していたこと、

かつ、
パンディエロにはスネア、ハット、
スルドにはバスドラ、など役割が見え、
また、
スルド単体でも手でミュートさせたりなど様々な表情があり、足で踏むだけのバスでは物理的に表現しきれないこともわかった。

つまり、いきなりドラムセットでサンバではなく、
そもそも個々の楽器の役割をドラム一つで肩代わりしているのだ、という歴史的流れを踏まえれば、
個々の楽器の表情の習得、つまりルーツから入るべきだろう?という結論に達し、
先日
人に習ったことなどない私がなんと講習を受け(笑)音の種類と叩き方をチェック(虎穴とはまさにこのこと)
その結果、やはり自主練が必要ということで、購入に至ったわけですねー。

実際にパターンを練習していて気付くのは、
ある程度速度を出すためには、スティックワークでも普通に行われているような、 腕上下1回に手首2回、という駆動自体の速度が上がらないと不可能ということがわかる。つまり楽器使わずの筋トレが要ると!
パンディエロは直接手で叩いて音を出すので、スティックのように跳ね返りを利用できない。速度を出すのはさらに大変だわーというのが今日まで。やっぱり速度練になるのね・・

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前回のは「投資」ですが、これは「仕込み」かな。




1/28 オルガンjazzトリオ ライブ

オルガンjazzトリオライブ



このところ私のjazzにおけるレガート練は、シンバルを叩くときのバスドラの低音利用と同じように、他人のベースの低音と一体化させる鍛錬をしている。そうすると不思議なことに、テケテーという細かい叩きはむしろジャマになり、ベースの4ビートと同じくシンバルを4ビートで叩く方がより効果が出ることが分ってきた。これも数年前 pf吉澤はじめさんに「ちゃんと4つ打ちでシンバルを叩かないと」と受けたアドバイスがようやく生きたことになっている。

今回のライブでは
これまでのようなギター伊藤のエモーションに食らいつくドラム
よりも
オルガンのベース音とどう一体化させグルーブを作るか?
が主眼となった。

終了後クラシック畑のお客さんから「ドラムの音色がキレイだった」他にも「キレがあるドラムはガンジーならでは」と評価いただいたことからも目的は果たせた分、音色やリズムへの配慮で手一杯で、飛べない状態が今後の課題と思えた。
つまり、
現在最大限注意を払っている音色やリズムなどを当たり前に平常技術に落とすことが今後必須課題であり、そうすれば、よい音色とリズムを持った上で、以前のように上を飛び回れることになると思われる。

またドラマーは全体の潜在リズムを見失うと叩く意味を消失してしまう。失速する感じになるのだ。これは何も注意を払わずに叩いているときに陥ることはない(無いものは失わない)から最近発生した問題といえる。
そういうときは立て直しのために一旦止めたい。しかしフロント楽器と異なりいきなり止めることができない。献金の効果と同じで、消えたときに存在価値がより浮き出てくるのだ。ふだんは石ころのようでも。。よって、叩きながら解決策を見いだすといういわば「走りながら考える」という経営手法のような芸当がより求められる。つまり多くを持つ者は問題も併時するということなのだろう。



このページでは私の成果、発見のみ記述しております。