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日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2009.NOV

11/2 視点フレームワークの弊害

先日のセッションで、私が見たビックバンドの映画を見せるハメに。

それまで、
合間の、クリントイーストウッドのコメントは、よき音楽を伝えようというイメージで私は好感を持っていたのだが、ジャズを生業にしている方々からは「オマエにジャズの何がわかる!」と散々なコメントが(笑)。ジャズ独特の単語の誤訳もあったらしく指摘も受けていた。新鮮だった

このビックバンドには、バリーハリス(ピアノ)も参加していて、
彼の名はセッションに来られている方が師事されたとのことで名前だけは知っていたが、
映像をみる限りではヨボヨボなピアノで、年かなーという目で私は見ていた。

しかし、この場で、いろいろ意見を聞きながら見ていて、彼がピアノをポロポロ、と弾いた瞬間、
おいしい水が体にしみわたっていくような、うわー!という感覚、すげえ!とビックリ

ビートに乗せる乗せないというところから離れた美しさ。
家でいつものように通して見ていたら発見できなかっただろう(※1)

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人は自分の見たい視点や、それまでの視点の慣性(延長線上)で物事を見る。

つまり、
あるフレーム(特定の見方)で物事を捉えようとするし、
かつて人工知能の分野では、それを常識やスクリプトと呼んで、いかにそれをもたせようか苦心していたりした。

ビジネスにおいては、購買者層の持つそういったスクリプト(文脈といってもいい)に乗るよう(乗らないと認識されない)広告したりデザインや質感を決定したりするからこそ、独自性のものが売れなかったり評価されなかったりするが、
それらは、すべて、人が物事をどう捉えるかの型(=フレーム)に起因するのだ。

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消費者のレベルならば、つまらないものをつまらないと言っていいし、面白いものが沢山ある中あえて一つのものに固執する必要もないのだが、私ら表現者の場合は、自分がつまらないと思えてしまうもの(※2)があるということ自体がバグ、に相当するので、デバッグをしなければならなくなる。

自分が「これ面白いでしょ!」と紹介したものが相手に「つまらないよ」と言われたとき、普通は憤慨したりするものだが、私の場合は、それがなぜだか構造はわかるし、なぜ人がそう思うのか想定と違う反応をするのか、ということに興味があり(言い方が悪いが)そのデータ収集は貴重な機会に思える。

なぜならば、自分の成長に直結するからだ。

表現者は自分が「これいいでしょ!」とやったことが、「そうだよね!」と反応されることが大事で、それは誤差がない状態。
言いたいことは一つだが、表現方法は沢山ある。だから、その誤差がないようにどう見せ方(表現)を変えるか、で苦心しているが、それを乗り越えることで、伝わる表現を自然と選べるようになる。

まあ、たいていは正しく伝わって「つまらん」といわれますが(笑)もう好みなのでそれはそれでいいでしょうと。。
人の好みは千差万別ですからねえ(笑)

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普段、
人と話していて、異なる意見が出そうな雰囲気になったとき、
私はすごくわくわくする。

それは、
ゲームでプロトタイプを製作し、他人のテストプレイを見ているときに似ている。
その人がどう操作するか予想外な反応を眺めるのは非常に楽しいし、
誤差を無くすことは、万人に伝わる足がかりになる。

怒るとか違うことを言うとかって、すごく勇気がいるしハードルが高い昨今(※3)、
正反対の意見を言ってくれる人は非常にありがたく、感謝に思う。


11/12 販促のためのグラフィック

先日のロケテでみたSHOOTERのためにPS3を買ったのに発売まだだった(笑)
動画では紹介されてないが、ロケテではグラディウスの多関節ボスみたいなのが出てきて、ガシガシ歩き、ハラから溶岩をブシューッと吐く。をををー!これを動画にすればいいのに、と思った。

そして、後日、
そのSHOOTERがゲーム雑誌で紹介されていたが、
なるほど、一枚画では、このゲームの魅力はわからないなーと思って、ふと、
そうか!
と気付いた

だから、
GBA版The Towerにへんな博士の上半身グラフィックがあったり、
DS版世界樹の迷宮に、上半身キャラのグラフィックがでてくるのか!
ということ。

それらは明らかに蛇足だが、

雑誌でゲームが紹介されたとき、
「一枚絵だけでゲームが面白そうに見えるため」に、
本来ゲームには必要のない、上半身な人物絵が必要なのだと。。。

構造から言えば、その一枚絵の魅力は、その絵を描いた作者の人生の面白さであって
ゲームの面白さとは関係がない。

しかし、かつて柴田賀盆氏が私に言ったように、
「お客にとって、ゲーム性で満足するのも悟空が出てきて満足するのも、同じ満足だ」
ということであり、

遊び手の満足とは、ゲーム性だけでなく、
グラフィック、音楽、有名なゲームを持っている満足感、プロモーションで見た俳優、
などなど
すべての満足の合計として得られるものだから、

私らつくり手は、そういったたくさんの種類の満足の中で、
自分たちの専門である、ゲーム性や作品性といった部分を
どれだけ多く含むよう、にじりよることができるか?(※4)
だと思うのだ。

満足の、陣取り合戦ってことです(笑

11/16 クリエイトに専念する

先日大阪に行って、夜中、心斎橋で話をしたとき、
クライアントの方が
 「クリエイトだけに専念して欲しいんですわ」

とおっしゃられていて嬉しかったのだが、

ここしばらく、企画書等々を作成していて、
その、
クリエイターとしてクリエイトに専念する、
ということが
実はなかなか難しかったのではないか、
という状態が実は日常たくさん転がっていたのではないか、
ということに気付かされる

クリエイト以外に、気遣わなくてはならない作業が、
むちゃくちゃあるように思う、昨今。

---
例えば、先日のshootingでは

シューティングなら、最低限の速度の確保が必要で、
でもボードは前世代レベル。
速度を上げるために、コードのチューニングだけでなく、
システムハッキングに近いことも試みたり、企画レベルから速度を出さなくていいような仕様を捻り出し実装したり、なりふりかまわずあれこれ、
しかし、時間は限られ、予算も限られ、人員は見つからない。

どう作るか?よりも、最低限成り立つための状態探し。
しかもその努力の端から、
基板が変わってさらに速度が落ち、グラフィックが変わり動きが再検討。
国内販売になりボーダー超アップ。ワンコソバか!(※5)

さらに、営業的な要求から、
shootingに限らず、格闘だってエロゲーだって、
特定ファン(インカムをつぎ込む人)に向けて作るため、
疑問符な仕様があっても、残さざるを得ない。

もう現場では、
長年やってきて、
この予算で期間だと無理ですよ、
とわかっている。
それでも、
会社は会社で売れないと先がないから、営業的な要求の割合がどうしても増していく。

---
じゃあ、そういった環境による障壁がないなら簡単にできるのか?
といえば、そうはどっこい問屋が卸さない(笑)

今回企画書を作っているだけでも、
ゲームとして成り立たせる、というだけでも
二転三転、
本当に大変なわけです。

ゲームを作る、
というのは、

「これはイケるぜ!」というアイディアが出ても、
それを
実際に配置したりルールを詰めたり、
仕様に落としていけばいくほど、問題があとからあとから発生する、

それらと真摯に向き合うことだ。



問題を修正するためのアイディアを入れていくと、
あるとき、
ふと
最初のきらめきが消えていることに気付く。

 イカン!なんか別のゲームになりかけてる!
で、
初心に返そうとすると、
解決したはずの問題にふたたび対面、頭を抱える。

一方、じゃあ、
別なゲームになりかけたヤツを膨らませたら膨らませたで、
やはりそっちはそっちで新たな課題は生まれていく



つまり、
ゲーム制作とは本来、
アイディアを形に、動くものにするだけでも、
非常に尽力を要するものなわけです。

そしてそれが形になっても、どうプログラムするかで頭をかかえ、
動いたら動いたで、
異様につまらなかったり、さらに問題が上積みされたり、

無事それが、面白かったとしても、

人に見せたらまるで遊んでもらえず、やりなおしだなあと実感したりする

ウキー!!まったく、
ゲーム制作ってつくづく超割にあわねーと常々思う。

・・・だが、

それが私らのやるべきこと。

くじけず、どう形にしていくか。

---
そういったモノ作りの過程の必然において、
このところ、

 クリエイトだけに専念するやり方、


わかってきたので、
楽しい今日この頃なのでありますよ(笑

 自分の脳の中がどういうモードで、
 それを継続するのか切り替えるのか、
 切り替えるためにはどういう行動が適切か、
 脳の蓄積構造から、人のアイディアへの認識の仕方がどうされていくか、
 それに基づいてどういう呈示が好ましいか


シンプルで美しい、数学の公式を追い求めるような、そんな日々ですわ、ふぃー。

11/23 責任

このところ体調がひどく悪い。

しかしやるべきはやるということで、体力的に背伸びしてセッションへ
風邪を引いているときの演奏は、左脳の恣意性が働かないのを利用し、
右脳的な演奏(錐体外路系による)が期待できることもある

---
プロにはさまれての演奏。。
幸い今日はギリギリ
なのがよい方向に機能した
のと、
前回かプロの方に教わった、

 ベースの低音を利用したレガートの音色なじませ

に徹したので、ベースソロをロストせず対応できたが、
一方で、saxへのすりよせが弱くなった感じ。


現状の課題:
・ピアノソロまわり(直前のpfバッキングがなくなり全体のリズムが変化するのでそれへの違和感ない切替および対応)
・ドラムソロまわり(pf bassバッキングがなくなる上で、補完する演奏。特にキメの弱いテーマの場合の和音的演奏技術はこのところの研究課題である)
・バーへの対応(バーがあるのか、フリーになったのか、自分がロストしたのか、の区別および区別がつかない場合の対応)


自分の演奏に責任を持て、といわれる。
何事も人生そのものなのだなあと痛感させられる。

11/24 首脳会議

新しいプロジェクト?を明確化するため、
首脳陣(笑)が集まって夜通し会議。

体制作りの詰め

さまざまなスマッシュな企画のとりまとめ

手足が揃ったら猛ダッシュするぜ!



11/29 虎の巣

ベースののぐちゃんが徹夜明けで練習に来た。をを!これは右脳期待できる!と思ったら
やはり
すごいことになった。
私の方もあまり寝てなかったしで、かなり「飛んだ」感じ。


 冒頭テイク1( toranosu_091129_take01.mp3) *後日アップします
 冒頭テイク2( toranosu_091129_take02.mp3)

しかし、
その分余波がすごかった。
命削って練習ってどうなのか。

11/30 プロジェクトその1

明日からプロジェクトの一つが発布、かなり大きな規模でやることに。



いろいろこれからだが、スタートだ!

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ゲーム黎明期、
マイコンのハード仕様がそのままゲームの文化に直結してきた。
しかし、今
その制約がなくなったのにも関わらずゲームの発想はそこから抜けきれていない。
数年前、FF新作をひさびさにPS2でプレイして、をを!リアルだ!自由に動けるぜ、と思って、
戦闘に入ったら、なんかターン制、なんで動けないんだ!と思った。尾骨のようなファミコン時代のルール。

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例えば、
電気グルーヴのライブでも、コンピュータを操作する人が居る。
レコーディングでも、ProToolsをいじる人がどうしても要る。

ゲームは、
プログラム可能か、がどうしてもアイディア発想の冒頭に入ってしまう。

コンピュータの複雑さが、そのままモノ作りに影を落としている。

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しかし、数日前にも書いたが、
プログラムできるかどうか?の前に、
ゲームとしてループを組み立てる部分は本当に大変だ。
しかし、
そこの育成が社会的に、まるで出来ていない。

音楽もそうだが、
パターン組み合わせ、ではない。

パターン組み合わせで、何を感じるか、

ゲームだけでなく文化的創造の基本中の基本だが、
その
快感がないまま、
なにか形だけ作ることばかりが大事のように語られている。
そこには何もないのだ。

しかしいうまでもないが、
遊び手も、
作り手も、
遊ぶことを通して、何かを得られることを望んでいるのだ。


 それって面白いの?という身も蓋もない、王様裸視点、が今必要だ。

これらを通して、ゲーム作り手の育成の足がかりになればな、と期待している。

このページでは私の成果、発見のみ記述しております。

※もちろん身内だけです














※1
直前の演奏が4ビートバリバリの演奏なので、続くピアノはそのフレームでとらえると下手に見えた。つまり通してみている限りはわからなかったのだ








※2
つまらないものには2種類ある。すでに修得してわかっていてつまらないもの、と、自分がまったく理解できなくてつまらないもの、である。後者は理解に務めないと自分の幅が広がらない


















※3
もちろん相手との関係を保つことが前提である

































※4
フジロックの代表の日高さんが「いつか出演アーティストの事前公表なしでチケットを売れるくらいにしたい」とおっしゃられていたのと似ている

























※5
体は休めないと壊れる(修復不可能)になる、ということと、人は単純に過剰労働で休みがないとうつになる、ということは身を持って体験した。つまり、一般に参っている人は精神治療どうこうより、適度な睡眠と休養を確保することの方が大事ということが判る。