since 2011 6.2 by TPM.CO / update 2011 7.3 / go toトップページ




日頃の行動をメモ。消しゴムで消して作品へと昇華する前の、日々の下書き。
This is my dairy memo. These will be a work after brush up process. .




    2011.JUNE

6/2 全部脱いだらオシマイ

羊達の沈黙(HP)の続編(あったのか!)がたまたま昼間のテレビでやっていて録画しておいたが、
残念ながら終り際で止めてしまった。

このところドラマで漫画で映画で、あちらこちらで見かける、

 せっかくのいい設定がだいなしになる、物語作りにおける共通の法則

が明確に見えた。

---
前作羊達の沈黙では、猟奇的精神科医レクターと、FBIの若き見習い女性との、敵同士でありながらの精神の通い合いみたいなキワキワな描写が秀逸だった。

今回次回作にあたるこの映画では、その、精神通い合いみたいなものを、なんとか相思相愛にしようとしていた。
つまり「もしかして」がじれったく、もう答えを見ようとしたのだ。
その結果、
物語の物理は失われ、リアリティは失われる。

この傾向は、
私がいいなと思う数少ない漫画などでも、巻数を重ねてくると、同じように、

 実は私は誰々が好きだ、好きかも

というように、
相手の独白、という形で描いてしまう。

つまり、もう早く結果が欲しい、という欲望なわけだが、
例えば、
グラビアアイドルが全部脱いでしまったらもう何もないように、
本心を、独白の形でそのまま描いてしまったら、もう語ることは何もなくなってしまう。

とれそうで取れない、じらすことがエンタテイメントでは大事である。
これは、
貨幣価値をコントロールするために日銀やIMFが貨幣量を操作するのと似ている。

無料になったとたん、いつでも得られるようになったとたん、価値は失われる。
その暴落の恐れを、作り手は常に警戒すべきなのだ。


隠しているそれそのものではなく、
隠そうとしているその意志とその挙動にこそ価値があり、

それらの総体が物語となってゆくのだ。




6/8 物語の軸

もう10年前になるが、PSゲームの「うたうたウ〜」というゲーム制作に関わっていた。

私が関わったときはもうすでに2年開発をしていたが、一向に終わらずで、
最初私はプログラムとか企画の手伝いで参加しただけだった。

通な音楽好きの間では名作と名高い、
イルカが泳ぎミニマル音楽を演奏したりエディットできる「DEPTH」というゲーム

当時斬新だったパラッパラッパー

足して2で割ったようなもの、というコンセプトだったが、

相手のフレーズを聴いて、
譜面なしで、それをそっくり真似て演奏する、

というjazzでいうコール&レスポンスみたいな、プロだってちょい難しいよ?みたいなことを
このゲームで初めて触る楽器を使って、
プレステユーザーにやらせるという、かなりハードルの高いコンセプトだった。
(ちなみにサウンドエンジンのプログラムはjazzギタリスト!の山口さん)
---
当初手伝いで関わったが、
言われるままに無批判に実装して、 ゴミなゲームを世の中にまた一つ追加するような無責任さは持ち合わせていないので、

もう何年も話し合いをしてすでに決まっているらしいたくさんの企画や仕様やらの、
その成り立ちを、関係者に一つ一つ聞いて回るようなことを行って、
本当にその仕様でなければならないのか?どこがその仕様の肝なのか?を確認していた。
そうすれば、
これあるとジャマなんだけど入れなくちゃいけないらしいし、みたいなことが避けられる。
実際、どうしたら商品になるのか?という現実の中、そういった小さいことをちくちく積み重ねて活路を見いだすしかなかった。

シナリオも、すでに原稿があり、これまた企画のミツハシさんがなんども外注のシナリオの人と校正を重ねていたが、
いうまでもなく、
ゲームにおけるセリフというのは、
実装して修正されることはごく普通で、
というのは、
移動して話し掛けて「うわセリフ長ッ!」とか「何言ってるかわかんね」となったりしたとき、
それをどのように変えたらプレイヤーがスッと理解できる簡潔な短い言葉にできるか、は、
実際にプレイを重ね、その言葉に出会ったときの感覚に頼るしかない。
つまり、
もう、外注さんにテキストの形だけで出して直してもらう、というやり方ではもう間に合わない、
つまり、残念ながらテキストは元の形でそのまま載ることはない、ということはすでにわかっていた。
(結果的に私がすべて調整し書くハメになった;)

シナリオは
2面ではなぜか老人ばかり出てきたり踊ったり、3面では巨大な機械がしゃべったりで、訳がわからなかったが、
幸い、
たまたま来社していたシナリオ原案の道下さんから
「老人の愛」「機械の母性」というコンセプトをお伺いすることができ、 なるほど、そういうことか!と判り、
最低限それを軸に実装を進めることが出来た。

実際現場では、もうすでにムービーやモデルなどのリソースはほとんど出来上がっていたので、
つじつまを合わせたり説明機能を含ませるためにどうセリフを変えるか、どうミニゲームを追加し、楽器習得をゲームの流れにどう埋め込むか、耳コピゲームをどう噛み砕くか、などなど、解決しなければならないことがたくさんあったため、ストーリーに軸があるというのは非常に助かった記憶がある。

何かを実装するにはいろんな方法が可能である。音楽もそうで、いろんな演奏の仕方があるが、結局伝わるのは、コンセプトだったり軸だったりする。逆に軸がないと、どう技術を使っても、何もないことになる。

---
その道下さんが4日に若くして亡くなられた。
一瞬ではあるが、大変お世話になったことをここに記し、
哀悼の意をここに表します。ありがとうございました





6/21 高円寺ミッションズ

鳥を見た、の高円寺でのライブ当日。
今回は、をを!と思うバンドがあったので、フジロック形式(笑)でお送りします!

---

GLIM SPANKY
19:30?
3バンド目
始まったときはツェッペリンかあ?と思っていたが、ひさびさに波動(参考→HP)のあるバンドであることに気付いた!演奏は人間がやることなので、いくらでも恣意的にコントロールできる。しかし、漫画や小説で主人公が勝手に行動するように、音楽の物理的必然性は演奏者をも支配するもので、その物理にきちんと従う、つまり楽曲に奉仕しているか?なのが大事なのだ。ある瞬間「いい音だ!」と思えるのは、それがいい音に聞こえるに至る、積み重ねられたバンドの努力の結果なのだから。鳥の演奏でも非常に注意している点でもある。音楽性的には人を選ぶみたいだが、そこは私の見ている場所ではない。最後まで見た。


VATO
20:10?
4バンド目
ゴスゴス叩かれる速いドラム、これがなかなか気持ちいい。デジタルなドラムでもアリだなと思わされ、最近の私の中では選択肢が廃止されていた手法だったので、非常に勉強になった。練習しよう!と思わせてくれるのは非常に有り難いことだ。演奏は同じような感じなので4曲目あたりで聞き疲れてしまったのは惜しい。


---

鳥を見た
21:50+
ちょっとでもアプローチサウンドを間違えると「そっちじゃないよ〜」という風にGtのなかおさんにスルッと逃げられる非常に難しい本番でした(笑)左脳のままの演奏は反省すべき点。。たぶんお客さんにはまったくわからないと思うが、演奏側では、小節の途中から歌が始まったりサビになったり終わったりで、毎回スリリングな演奏を何食わぬ感じで物理的必然性も無視しないよう(急には止まれない)対応している。さらに今回はささやくような歌の瞬間がすごく多く、PAモニタされたステージ上のドラムで音量下げてかつアリな音色で叩くのはかなりの配慮と力が要るので(力を抜いて叩くと「弱い音」になり、歌の緊張感を下げてしまう)、終了後はもうヘトヘトでした。まあそこがヤリガイなバンドではありますが(笑)
なお、
生声とドラムの合わせ方についてはいつのえみさんとの鍛錬(→2007 2月 7月)がベース技術になっています。感謝を込めてここに記します




6/22 オーバーホール

忙しくてもう数年以上手をつけていなかった部屋の模様替え+大掃除をした。もうゲームや書籍や機材の山、ほこりの雪がすごかった(笑)すこしずつ気付かないうちに汚れていくのか!と(関連→HP

実は朝テレビで、
カビなどによって肺がやられ入院したりする人の事例(「入院すると直る」というのが笑える)を見て、
どうも最近家に居ると体調が悪いぽい(でかけると大丈夫?)のはこれか!と確証を得たので即動いた。

効果があるかはしばらく様子を見て確認する。

このところ一日の活動限界範囲内でどうやりくりするかばかりだったので起死回生か?というところ。風邪の経過の仕方ばかり上手くなってしまって。。夏風邪の治らない仕組みを語れるくらいだ。語ってどうする(笑)いやー体が資本とはいやホント。これが解消されると生産量が増えて助かる。やりたいことは膨大にあるのだ!


このページでは私の成果、発見のみ記述しております。