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朝日新聞1997年3月28日より抜粋




10年周期 ジャズに革新
マイルス・デイビス
ジャズ評論家 児山 紀芳
マイルス・デイビスの不朽の名作として名高い「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」でのトランペットの音は、一九五〇年代のモダンジャズがもたらした最も鮮烈なサウンドの一つである。一度聴いたら決して耳から離れることのない闇夜(やみよ)の静寂を切り裂くような鋭い音。一つでも音をはずせば緊張感が台無しになる張りつめたメロディーライン。

トランペットで描いた音の世界をピカソの芸術に例えて、人々はマイルスを「モダンジャズ界のピカソ」と呼んだ。ある時「天才と呼ばれたらどんな気持ちがする?」と直接聞いたことがある。「おれは天才なんかじゃない!いつも苦闘しているんだ。才能ある若い連中を見つけてきて彼らからフレッシュな感覚を吸収して時代遅れにならないようにしてる。逆に若手には経験をうえつけてやるんだ。ずっとそうしてきただけさ」という答えが返ってきた。

素顔のマイルス・デイビスは、二六年五月、イリノイ州のアルトンで裕福な歯医者の息子として生まれた。一八才(四四年)のとき、ジュリアード音楽院に学ぶためニューヨークに出たが、すぐにアルトサックスの天才チャーリー・パーカーと共演した。

四〇年代末期には、いち早くパーカーから学んだビバップ・スタイルから脱皮して「クールの誕生」と形容される革新的なサウンドの九重奏団を結成。五〇年代末期にはモード手法を導入した「カインド・オブ・ブルー」、六〇年代末期にはロックや電気楽器と取り組んだ「ビッチェズ・ブリュー」という具合に、ほぼ十年周期でジャズ界に大きな転機をもたらした。

マイルスは、共演者の秘められた才能を引き出す不思議な力を持ったカリスマ的なリーダーだった。ジョン・コルトレーン、ビル・エバンス、ハービー・ハンコック、ウエイン・ショーターといった巨人が傘下から相次いで出た。

私生活も華やかだった。車はランボルギーニやポルシェ。ボクシングのジムに通って身体を鍛えたし、晩年は前衛的な絵を描いたり、奇抜なファッションに身を包んだりして話題を振りまいた。最後の晴れ舞台では、それまで拒み続けた過去の名演を再現するというファンの夢を世界注視のジャズ祭でかなえた。

それから二ヶ月後の九一年九月、享年六十五歳で他界した。男の美学を絵にかいたような生涯だった。