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朝日新聞朝刊「辻口博啓さんからあなたへ」2005年5月21日生活欄 P21より抜粋





〜辻口博啓さんからあなたへ〜
シンプルさが本当の勝利を呼び込む

僕はいつもシンプルな考え方を心がけている。例えば出来たてのケーキ、出来たてのパンを出すことへのこだわりだ。
それが一番おいしい。でも僕の修行時代、そんな当然なことに目を向ける人がいなかった。
本気でおいしいものを作ろうという人は皆無だった。

前夜に作ったケーキがうまいはずがない。ケーキのための厨房でパンを作っても、温度や湿度の設定が違うから、おいしいものが生まれるはずがない。
複雑な思考はいらない。ピュアな心を一つだけ、押し出せばいい。

僕は石川県で代々続く和菓子屋に生まれた。中学時代、父が借金の肩代わりをして、家が傾いた。3代目として父と一緒に働くという僕の夢は、無残にも砕かれた。だが、一方で、主のいなくなった厨房が人手に渡っていく様子に「このまま終わってたまるか」と誓ってもいた。

高校卒業後に上京し、フランス菓子店で修行を始めた。金がないから住み込みで働き、23歳で「日本一の座」を獲得した。しかし菓子職人という職業に対する尊敬がなかった当時、暮らしは何も変わらなかった。目標を「世界一」に設定し直し、フランスへと旅立った。

ショックだった。味が建造物であり、一級の娯楽だと思い知らされた。これを自分のものにしようと思った。平均2,3時間の睡眠で、恋人とも別れ、大事なものを切り捨て、深く深く探求する日々を送った。

人はつねに目標と闘い、それを超えた時に自分の存在価値を強くかみしめるのだと思う。そして次の目標へ。達成への道のりには、シンプルな考え方や行動パターンこそが勝利を呼び込むように感じる。

世界の頂点を目指すコンクールを勝ち抜くプロセスの中で、「世界中の人たちに菓子を食べてもらいたい」と思うようになった。

非効率でもいい。偽りのない菓子作りをしていれば、自分自身が気持ちよく働ける。スタッフの士気もあがる。
常に一人であるということ、物事をシンプルに決断し、前進すること。それは孤独を超越した者のみが到達できる世界なのだと思う。

次の時代を創る人へ。夢を持ちつづけてほしい。あきらめさえしなければ、夢は決して逃げていかないのだから。











つじぐちひろのぶ パティシエ。67年石川県生まれ。97年、仏菓子のW杯「クープ・ド・モンド」で個人優勝。98年、東京・自由が丘に「モンサンクレール」を開店。