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NHK  ETV2002 「失敗に学べ」 〜牛丼・価格破壊への道のり〜 2002年12月24日放送







(吉野家は、2002年4月、例年の100円引きのセールを踏み込んで、150円引き、つまり250円の牛丼セールとして行った。その結果、お客が殺到し、店には人があふれ、供給工場には通常の3倍の注文が舞い込み、パニック状態に陥った。その事件を社長である阿部修二さんが総括した様子が以下)




失敗の総括@「社長の責任」

「大罪はもちろんボクですよ、そりゃもちろん。その状況になるそのセールを決めて命じたわけですから。ま、いわば能力の限界を超えたセールスプロモーションを決めたし命じた、という僕にまず出発点があるですよね。予測の見極め違い、とか含めて」

失敗の総括A「社員の責任」
みんなの思い、はですね、だいたい失敗したりパニックとかそういう状況になると、悪者は他人にするから・・・。
「アイツさえちゃんとしていればこうはならなかった」・・というのが第一感なんですよね。

それから2つ目は、当事者意識があるヤツは、「運が悪かった」・・と。
「俺じゃなくてもこりゃうまくいかないよ」・・・と正当化をする。

3つ目は、謀らずも新聞やらなにやらは「売り切れになるほど大成功」という表現に、ま、幸か不幸か、なったりしましてね、そうすると、「まあ、なんだかんだいったって世間は良く言ってるじゃないか」・・と、とかね。それから、まがりなりにも途中でギブアップしないでみんなやり抜いたのが、その・・それこそ48時間連続勤務だとかね、・・・一般従業員じゃないですよ、幹部たち。3日間のうちに仮眠が2時間!とかね。そういうの、みんなだったんで、「なんだかんだ言っても俺らもやったよなあ」・・・というヘンな充実感。・・・とかでね、つまりこのまれなるこの「失敗」を、しっかり、「なぜそうなったか」「どうすればそうならなんなかったか」。

で、まず、店の連中は「製造物流が、物さえちゃんと届けば俺らやったんだ」というように、サプライサイドを悪者にしてる。でも全品来たところでじゃあちゃんとしてたか?と言うと、待たせるわ、炊飯はご飯が炊き上がんなくて間に合わないわ、タレはちゃんと補充できてないから味はいつもの味にできないわ、という混乱は起こってたんですよ。どこもたまたま自分の特徴の失敗が出ただけで、みんな同罪なんですね。



社長の結論
当社はどこよりも失敗の学習を重ねてるというのが非常に大きな財産になってんじゃないか、という気がしますよね。

問題自体が悪いわけではない・・。悪いのは問題を放置する、あるいは問題なのにフタをかぶせてそれを隠蔽する、あるいは問題やら間違いなのに、それを正当化する。・・ということが悪であって、「うまくいかなかった」とか「問題自体が存在する」なんてことは、そんなことはあたりまえで、それ自体が悪というように仮定したとたんおかしくなるんじゃないかと・・・。つまり、なんにもできなくなる、なんにもやろうとしなくなる。だから問題を起こさないように、というふうに生きていこうと思ったら、そりゃ生きてない方がいいわけで・・・(笑)。いや、極論するとですよ。

(吉野家D&C、社長 阿部修二氏談)